札幌は開拓時代の歴史的文化財建築と自然の宝庫

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私が札幌の魅力を感じたのは開拓時代の息吹が感じられるレトロな文化財建築と自然の調和の美しさです。

先住のアイヌと少数の和人を除けば、ほとんど未開拓の地であった北海道に、明治初期に政府が巨額の財政投資を行い、本州から多数の移住民を送り込み内陸部の農林業を中心とする開発を強力に行いました。

開拓使のトップは、のちに第2代内閣総理大臣となる黒田清隆で海外から様々な分野のお雇い外国人を招き、アメリカを手本とした開拓事業を複数展開します。

その開拓時代の建築物と自然の調和が私の興味と合致して札幌好きになりました。

大通り公園のさっぽろテレビ塔

北海道開拓時代の文化財を見ていきましょう。

目次

北海道開拓の村

北海道開拓の村は、1983年に明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を、54.2ヘクタールの敷地に移築復元、再現した野外博物館として開村しました。

開拓使は欧米の文化や技術を積極的に取り入れ開拓の基盤を固めていきました。そのレトロ西洋風なデザインが私の心をくすぐります。

市街地群農村群、漁村群、山村群の4つのエリアに馬車鉄道も走り開拓時代にタイムスリップできます。

馬車鉄道

旧開拓使札幌本庁舎

1869年(明治2年)、明治新政府は原野であった現在の札幌を北海道の政治の中心とすることに決め、新しい町づくりのなかで、役所や学校、お雇い外国人教師の官舎などには西洋風の建築スタイルが取り入れ、札幌中心部はアメリカ東部の都市のような雰囲気になって行きました。

そのシンボル的な建物として1873年(明治6年)に開拓使札幌本庁舎が完成しましたが、1879年(明治6年)に火事で焼失してしまいました。

旧開拓使札幌本庁舎

旧浦河支庁庁舎

1897年(明治30年)、北海道庁が郡区役所制度を廃止し、支庁制度を設けた結果、浦河支庁が置かれ、1919年(大正8年)に地元の浦河村および道庁の費用で建築されました。

全体的にピンク系にまとめられたが可愛い色合いの木造建築です。

旧浦河支庁庁舎

旧札幌停車場

1908年(明治41年)に建てられ、1952年(昭和27年)まで使われた札幌停車場の正面外観と形状を5分の4に縮小し、管理棟として再現されました。

外観には同時期のアメリカで木造建築に用いられたスティックスタイルと呼ばれる形式が取り入れられ、下見板とスティックによる模様付けが特徴です。

旧札幌停車場

旧小樽新聞社

この建物は、1909年(明治42年)に木造の骨組に札幌近郊で産出された札幌軟石を外壁に積みあげた構造の明治期石造建築です。

旧小樽新聞社

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